夏のヤマセ(太平洋からの冷たい濃霧)の影響を受けるため、脆弱な農業生産力しか持たない岩手の寒村・大野村。かつて村人の生活は、主に出稼ぎに頼らざるをえませんでした。
昭和30年から40年代の村の出稼ぎ者数は、1,000~1,500人とも云われ、村の男たちは一年を通して北海道や関東地方に仕事を求めて出かけていきました。
結婚しても妻や子供と一緒に暮らせない・・・。村の中で家族一緒に生活を送りたい、そんな村の若者たちの切実な思いを受けて、工業デザイナーの秋岡芳夫氏(当時・東北工業大学教授)から、地域の資源(人・技・もの・自然・風土等)を生かしたモノづくり「一人一芸の村づくり」の提唱がなされました。
1980年(昭和55年)、村人を挙げての学習の場として、春夏秋冬のシーズンを通した「キャンパス80」を開催し、豊かな山村文化の復興とモノづくり産業の構築による生活の活路を夢見て「一人一芸の村づくり」のスタートを切りました。