| 1979 |
9 |
東北工業大学教授故秋岡芳夫氏より「一人一芸の村」計画の提案 |
| 1980 |
4 |
大野村春のキャンパス'80開催 |
| 木工品・ホームスパンなどの実演提案と工芸の可能性について学習 |
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| 6 |
大野村工芸グループ旗揚げ |
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| 時松辰夫氏、大野村で木工ロクロ指導開始 |
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| 8 |
大野村夏のキャンパス'80開催 |
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| 乳製品加工の実習も加わる |
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| 11 |
大野村秋のキャンパス'80開催 |
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| 食と器を中心に工芸の可能性を提案 |
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| 物産展を開催 於 仙台睦屋 |
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| 1981 |
3 |
大野村冬のキャンパス'81開催 |
| 1982 |
3 |
大野村春のキャンパス'82開催 |
| 1984 |
10 |
村立大野第一中学校で学校給食器に大野木工を導入 |
| 大野村工芸グループが日本民芸協会賞受賞 |
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| 1985 |
8 |
村立水沢小学校で学校給食器に大野木工を導入 |
| 1988 |
3 |
大野村産業デザインセンター工事着工 |
| 1990 |
1 |
村内全ての保育施設(6施設)で給食器に大野木工を導入 |
| 2 |
村立帯島小学校で学校給食器に大野木工を導入 |
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| 大野村産業デザインセンター完成 |
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| 1992 |
4 |
社団法人大野ふるさと公社 設立 |
| 9 |
第9回全国竹とんぼ競技大会を大野村で開催 |
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| 1994 |
4 |
おおのキャンパスが道の駅に指定 |
| 1997 |
11 |
大野民芸家具組合・三本木烈氏、県卓越技能章受章 |
| 1998 |
10 |
「大野木工クラフトマン養成塾」を開塾(時松辰夫氏塾長) |
| 第一期生入塾(3名) |
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| 1999 |
10 |
「大野木工クラフトマン養成塾」第二期生入塾(2名) |
| 11 |
大野民芸家具組合・三本木烈氏、現代の名工に選ばれる |
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| 2000 |
10 |
「日本のクラフト展・大野村」開催 |
| 11 |
佐々木米蔵氏 岩手県卓越技能章受賞 |
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| 2001 |
10 |
「大野木工クラフトマン養成塾」第一期生 卒業 |
| 12 |
全国木工芸コンペ「木と暮らしの工芸展 2001」開催 |
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| 2002 |
6 |
「大野木工クラフトマン養成塾」第三期生入塾(2名) |
| 10 |
「大野木工クラフトマン養成塾」第二期生 卒業 |
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| 11 |
全国木工芸コンペ「木と暮らしの工芸展 2002」開催 |
|
| 2003 |
11 |
全国木工芸コンペ「木と暮らしの工芸展 2003」開催 |
| 秋の褒章で、大野民芸家具組合・三本木烈氏黄綬褒章を受章 |
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| 2005 |
3 |
「大野木工クラフトマン養成塾」第三期生 卒業 |
| 2006 |
7 |
大木総研(大野木工総合研究所)活動開始 |
| 2007 | 6 | 大野木工生産グループ 保育園施設めぐりを開始 |
| 7 | 保育園めぐり 実施 | |
| 9 | 保育園めぐり 実施 | |
| 11 | 東京学芸大学と共同研究プロジェクト実施の提案 同会議のため初会合 | |
| 2008 | 2 | 地元大野の保育所で実演会を試験開催 |
| 5 | 岩手県工業技術センター・東京学芸大学 両者との連携構想始動 |
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| 10 | わかば保育園にて実演会開催 | |
| 11 | 東京学芸大学・附属幼稚園にて実演会開催 |
1.大野村「一人一芸の村づくり」のスタート 夏のヤマセ(太平洋からの冷たい濃霧)の影響を受けるため、脆弱な農業生産力しか持たない岩手の寒村・大野村。かつて村人の生活は、主に出稼ぎに頼らざるをえませんでした。
昭和30年から40年代の村の出稼ぎ者数は、1,000~1,500人とも云われ、村の男たちは一年を通して北海道や関東地方に仕事を求めて出かけていきました。
結婚しても妻や子供と一緒に暮らせない・・・。村の中で家族一緒に生活を送りたい、そんな村の若者たちの切実な思いを受けて、工業デザイナーの秋岡芳夫氏(当時・東北工業大学教授)から、地域の資源(人・技・もの・自然・風土等)を生かしたモノづくり「一人一芸の村づくり」の提唱がなされました。
1980年(昭和55年)、村人を挙げての学習の場として、春夏秋冬のシーズンを通した「キャンパス‘80」を開催し、豊かな山村文化の復興とモノづくり産業の構築による生活の活路を夢見て「一人一芸の村づくり」のスタートを切りました。
1980年のキャンパス‘80に始まった大野木工は、現代の名工や卓越技能者を輩出する技術的にも優れた工芸品として育っております。こうした先達の意思を引き継ぎ、更には現代の生活ニーズに即したモノづくりを進めるために、一人一芸の村の大野木工に魅せられて全国から集まった若い木工職人たち(大野木工生産グループ)は現在、より多くの使い手の意見を取り入れた創作活動を進めるため、愛好者や使用現場等の訪問活動や意見交換会を積極的に進めております。
人々の豊かな暮らしへのモノづくり提案を目指した、大野木工生産グループの活動に全国の皆様の温かいご指導、ご支援をお願いいたします。
大野木工生産グループ 窓口
みのり工房
岩手県九戸郡洋野町大野47-18-9
E-mail minori@sukaheru.net

特に、大野木工は子供たちの人格形成の観点からも、感受性の豊かな幼児期にこそ「本ものの良さ」や「温もり」を体感しながら、食器を通して、きちんとした食事マナーやモノの大切さ・扱い方を学習させることが重要であると考えております。
そのために、幼児の手の大きさや食事メニュー等、使う側に立った「幼児給食器」の開発を推進しております。
現在、大野木工の「幼児給食器」は、岩手県内をはじめ、北海道から沖縄まで全国の幼稚園や保育園で導入されております。大野木工の給食器は、「一人一芸の里・おおの」からの「大野らしさの食育提案」でもあるのです。

大野木工が全国に知られるきっかけとなったもう一つの理由は、「地域の素材を生かし、地域の人が作ったものを、地域の暮らしに生かす」自作自用のモノづくり理念から、最初に完成した木工食器を、村内の子供たちの「学校給食器」として導入したことです。このことは、工業製品の氾濫の中で、山村の豊かな生活文化の提案として全国に大きな反響を与え、やがて各地で地場産業を生かした学校給食器の導入の試みが展開されていくこととなりました。
しかし、学校給食の現場では、作り手の思いもかけないことが起きていました。長年に亘りアルマイト食器と先割れスプーンの金属食器の乱暴な使用に慣れきっていた子供たちは、導入した木工食器を、たった一週間で、ギタギタに傷つけ破損させる結果を引き起こしてしまいました。
それでも木工職人たちは、壊れた木工食器を黙々と修理し給食現場に返し
続けました。その結果、半年後には、「木のものは壊れる。大切に扱うもの・・」という、子供たちの体感意識が芽生え、破損した木工食器が殆ど見られないという状況を生み出こととなりました。熱さが手に伝わりにくい木工食器は、器を手に持って食べる「和の食事マナー」を子供たちに身に着けさせるきっかけとなり、やがて、きちんと器を手に持って食事ができる子供たち、大野のモノづくりに誇りを持つ子供たちの姿を見ることができるようになっていきました。
このことから、大野木工は社会に優れた工芸品の提案をするだけでなく、木工食器を通じて、子供たちへの「食育」や情操教育など、豊かな暮らし作りに大きく貢献できることを学びました。大野木工は現代社会においてそうした役割を担っていきたいと強く願っています。

キャンパス‘80での学習を通じて、村の女たちは自分たちの暮らしの中からのモノづくりの再発見と基幹産業の酪農資源を活用したチーズ・バター・アイスクリーム等の乳製品加工や食肉加工製品の新たな開発に取り組みました。
男たちは「村の山林にはたくさんの雑木がある・・・。千人を超す出稼ぎ大工の技がある・・・。」の秋岡先生の呼びかけに共鳴し、若者たちは、村に在住してくれた日本有数の木工ろくろ師、時松辰夫氏(現大分県湯布院市・アトリエときデザイン研究所所長)の指導のもと、日夜を惜しんで「木工ロクロ」の技術習得に励みました。
こうして地元の山林資源を素材とした、木工品「大野木工」が誕生しました。
大野木工は、「美しい木目」と「木の温もり」を生かし、普段の「生活の道具」として使用してもらえる、強い塗装技術の工夫(プリポリマー含浸法等)が特徴とされ、職人たちの「手づくり」のこだわりと「本ものの良さ」から、「温もりある工芸品」として全国に高い評価を得ていくこととなりました。