●●●●岩手地饅物語●●●●
万澤安央 著
| ●長野おやき移植計画始動の巻 |
| 「おやきって知ってる?」岩手県、それも北部のほうでこう聞くと「あー、すってる。おやきだばあれだべ、あんこが入ってて、平べったくこんがり焼いだの…」「そうじゃなくてさ、長野おやきって知らない?」「うーん、すらねーなー」こんな調子で、岩手のおやきとは、関東地方で言う「今川焼き」なのだと知ったのは、いまから約15年ぐらい前のことだった。でも、長野おやきは今川焼きとは似ても似つかない食べ物なのである。
東京でも、たぶん約20年ぐらい前から各地のうまいもの市などで市民権(?)を主張しはじめたような氣がするこの不思議な食べ物を知ったのは、ボクも30歳をすぎてからだったと思う。 はじめて食べた長野おやきは、膨らし粉の入っていない小麦粉のしっとりした皮に、野沢菜の油いため、なすの味噌いため、にらキャベツといった具が入っていて、あくまでお菓子ではなく軽食、すなわち岩手で言う「こびり(小昼)」、英語で言う「スナック」なのであった。 その後、長野おやきと一口に言っても皮に膨らし粉がはいったものもあり、具にも店ごとのスタイルがいろいろあって、まるでラーメンと一口には言えないような奥深さと、味の差があることも、長野に行くたびに食べているうちにわかってきた。 そこでハタと氣づいたことは、長野と岩手には奇妙に共通する名物があって、たとえばりんご、温泉、スキー場、そば…、ん?
それなのに岩手にはおやきがないぞ…。どっちかといえばこんなに岩手っぽい食べ物が岩手にないのは不思議でさえあった。 そこで、冒頭の質問をことあるごとに発しているうちに、「あ、これは知らないだけで、岩手の人々はきっと長野おやきをうまいと感じるはず…」と思えてきたのだ。その思いは何年も胸のうちにしまっておいたが、平成10年、岩手に引っ越したその年の冬から、いよいよ「長野おやき移植計画」は開始した。 ●試食会は大成功、試作は大失敗! まず、地元、安代町を中心にして県北部の13町村を一人で回って「長野おやき大試食会」のお知らせをして回った。クルマで凍てつく峠をいくつも越えて沿岸部にいたるまですべての町村役場をおとずれて、生活改善グループや食の匠、あるいは直売所の関係者など、手当たり次第に呼び掛けた結果、平成11年2月2日の大試食会にはなんと250名の人々が集まった。長野県の三つのおやき製造会社から取り寄せた1350個のおやきは、テレビや新聞の取材にもひるまず、すっかり参加者のお腹に収まった。「これはおいしい!」「こりゃ口に合わないな…」と一口食べるたびに感想がとびかう大試食会であったが、そうじて「長野おやきはおいしい」との受止め方が大勢をしめたのは予想どおりでもあった。「これは単に食べて感心するだけじゃなく、これを上回るおいしいものを作り出して新しい岩手名物にしましょう!」と、呼び掛けの段階から最終目的をかかげておいたから、なんとも言えない熱気のこもった大試食会だったのである。 その熱がさめないうちにこんどは大試作会を2月末の28日に開いた。こんどは80名の腕自慢の参加である。みんなで思い思いの具を持ち寄って、皮を作って包んでみようという趣向である。ところがいずれ劣らぬ腕自慢のはずが、当日の皮の出来はおせじにもほめられたものではなく、取材にきた新聞記者はそのとおりの印象を記事にしてくれたのであった。これもまた予想通りとはいえ、商品としての名物づくりは前途多難を思わせた。 それから、雪が解けてみんな忙しくなり、初夏がすぎ、夏が来たが、誰一人として「皮ができた」と言ってはこなかった。「じゃ、これはと思う皮ができたときは連絡下さい」と、言っておいたのに、みんなどうしちゃったんだろう? ちょうどそんなことを思いはじめたころ、盛岡地方振興局から「岩手おやきの出来はどうですか? 盛岡市肴町のアンテナショップで試験的に売りたいんですが…」と連絡が入った。ところが、その日までなんと約20日しかなかったのである。 ●崖っぷちからの大逆転! これは大変、なんとかしなきゃと、初めに頭に浮かんだ人は、試作会の前後、町内で一番積極的に見えたのは80歳になるキヌさんだった。スキー場の通販で味自慢の漬物を売っているだけあり、具の試作品を次々と作ってはボクに味見をさせてくれる。皮づくりへの意欲も満々だったので、すぐにキヌさんに試作を依頼した。初めての試作は、具はおいしいものの、皮の見栄えが商品化には程遠く、味もまだまだだった。時間も迫ってきていたので、すぐに2回目の試作を依頼し、2日後にまた来るからと、約束の日に行ってみると、こんどはキヌさん、何も作っていなかった。「おじいさん(夫)がアタシの身を案じて、もうやめろって…」 そう言うキヌさんの顔には、したいことを止められた無念さはなく、深く愛されている自信が微笑みとなって浮かんでいた…。「じゃ、この話、つぎの人に持ちかけていいですか?」と念を押すと「どうぞ、どうぞ」と快諾してもらったので、すぐ家に飛んで帰ったボクは食の匠、立花栄子さんに電話した。「…といわけで、せっかくの話、振興局には『やっぱり出来ませんでした』と断るのはカンタンですが、『断るぐらいなら自分がやってみよう』という氣があれば、栄子さん、やってもらえますか?ただし今から2週間しかありませんが…」電話の向こうで栄子さんの負けじ魂に火がつくのが瞬間的にわかった。「やってみましょう」と決意のこもった力強い声が響いてきた。じつは、栄子さんは「岩手地饅」づくりの本命中の本命と目されていた人だった。試作会の2週間ほど前、栄子さん他1名とともに、長野に2泊して、ボクの知りあいの玉屋さんというおやき屋さんにお願いしてレシピをすべて公開してもらい、実際に粉をこねておやきづくりもさせてもらった。さらにおやきで世界に飛躍した小川村の有名な会社のおやきづくり体験もやってきた。ところが帰ってからやってみた長野おやきの再現はまったくうまくいかず、さすがの栄子さんも、壁に突き当たったままついに試作会当日を迎えてしまったのだった。だが振興局から期待を込めて試験販売を持ちかけられている今、状況的にはもう崖っぷちだった。安代町の食の匠の名誉にかけても、栄子さんは、世間に通用する岩手の新名物を2週間以内に生み出さなければならない。それも、冷めてもまずくならないように、饅頭タイプの皮を作ると決めてあったから、なおさら難しかった。しかし、なぜかボクには栄子さんなら必ずやってくれるという楽観があった。そしてまさにギリギリ、販売日の2日前、「出来ましたから来てください」との連絡に、飛んでいったボクの目の前には、栄子さんとその仲間が試行錯誤のすえ完成させた「岩手地饅」が、いかにも美味しそうに並んでいた。その形はずーっと思い描いていたとおり、張りのある丸みをもち、大きさは中華饅頭ぐらいで、中身は切り干し大根の煮付けだった。一口食べてみる。ふっくらとした歯ざわりの皮の甘さと、懐かしい味の切り干し大根のジューシーな味が、口の中で渾然一体となっておいしい!これならいけるぞと、 初めて商品化への自信が湧いてきた。しかし、この地域一帯の栄子さん世代の好みを反映してか、やや甘みが強すぎる点を指摘して、"東京で売れる味"を目標に味の微調整を翌日行い、とりあえず商品の名称も仮に「あしろ野菜まんじゅう」と決まった。そして7月20日、盛岡肴町の県のアンテナショップ「ほっといわて」で「あしろ野菜まんじゅう」は発売開始後、2時間半で200個すべてを完売して、上々の滑り出しを見せた。 |
| ●3日間で3000個完売の東京デビュー! |
| 肴町での好調な売れ行きを見ていた盛岡地方振興局の担当者が「10月9日〜11日、東京・代々木で開かれる銀河系いわてフェスティバルに出品しませんか?」とささやいた。降って湧いた良い話に、一も二もなく飛びつき、その場で担当者の引継ぎまでして出店を決めてもらった。東京での売り上げ目標はいきなり3千個に決めた。作るだけでも大変な数だが、栄子さんたちはそんなに売れるのかと半信半疑だった。しかし、この味は東京人にもウケるという確信がボクにはあったのだ。そして名称も正式に「あっぴ地饅」とし、一般名詞として「岩手地饅」と決めた。「岩手地饅」の頭には、「惣菜まんじゅう」という但し書きをつけることにした。場合によっては「地域おこし惣菜まんじゅう」ともなる。そして10月9日の東京・代々木公園のテント出店で「あっぴ地饅」は正式デビューした。午前10時開店後まもなく「おいしい!」と試食の人だかりができ、「あっぴ地饅」はせいろで蒸し上げるそばからあっという間に無くなって、午後5時ちょうどに1000個を完売した。そして残る2日間ともそれぞれ1000個を完売、結局、3日間で合計3000個を見事に完売できたのだった。しかも長野出身のお客さんが「この皮、長野おやきよりおいしい!」と言ってくれたときは、全員が素直に喜んだ。ある意味で、それが先輩・長野おやきに対する最大のご恩返しのように思えたからだ。 |
![]() |
| ●「岩手地饅」続々誕生の巻 |
| 平成11年10月9〜11日 東京・代々木公園で3日間にわたって開かれた「銀河系いわてフェスティバル」で首都圏デビューを果たした「あっぴ地饅」は、見事に合計3000個を完売して、ヒット商品としての可能性を証明した。そして、同じ10月の31日に盛岡・肴町の「ほっといわて」で凱旋地元デビュー販売を行いここでも「あっぴ地饅」は見事に500個を完売して、全国型ヒット商品としての素性の良さを見せ、平成12年の2月20日にも「ほっといわて」で300個を約2時間で完売した。 平成11年12月 地元安代町に革新的なとうふ屋さん、「ふうせつ花」(電話0195-72-8008年中無休)がオープンし、そこでも正式に「岩手地饅」を製造販売することになり、名称も「ふうせつ花地饅」と決まった。毎日とうふ屋さんの店頭で売られている「ふうせつ花地饅」の具は、おから、切干大根、かぼちゃの3種類で、いまでは固定ファンが必ず買って帰る人気商品となっている。 平成12年1月末 岩手県の北緯40度東端にある普代村の特産品開発「ひまわりグループ」と正式契約、村の行事などで好調な販売を見せ、6月10日には盛岡の南となりの矢巾町でデビュー販売、「ふだい地饅」は、わずか2時間半で「あっぴ地饅」ともに400個を完売した。そして、久慈地方振興局から「特産品奨励賞」を受ける栄誉にも輝いたのである。 平成12年12月12日 岩手県花巻市の有名なつけもの屋さん、「金婚亭」(電話0198-26-2250代)を経営する鞄ケ奥も「岩手地饅」製造販売の正式契約を行い、現在、試作を進めているところである。名称はまだ未定だが「はなまき地饅」も候補のひとつである。 平成14年3月1日 「花巻地饅」が正式デビュー。予定より発売までの時間がかかったのは、店内で最高の場所に売り場を新設するにあたって、改装や保健所の許可を新たに得るなど、売るための環境整備のためだった。そのかいあって、発売直後から口コミで評判が広がり「金婚亭」の新名物として好調な売れ行きを示した。芭蕉菜、くるみ味噌、豚キムチ、大納言あんこの4種類を同時発売したことでも、その力の入れようが伺える。 |
![]() |
平成14年5月20日 |
![]() |
| 平成14年11月2〜3日 「ふだい地饅」が矢巾町役場駐車場で開かれた「矢巾秋祭り」に出展、二日間で500個を完売した。秋まつりと銘打ってあるものの、遠くの山々は雪に覆われ、テントが飛ばされそうな、とんでもなく風の強い日だったが、二日間とも気温が下がり始める午後2時過ぎには目標個数を完売して早々と店じまいができた。この日で製造元の「ひまわりグループ」の方々はめでたく引退となり、今後は同じ普代村内の若いグループに引き継がれることとなった。「ひまわり」の皆さん、素晴らしい実績を残してのご勇退、本当にお疲れ様でした。毎回とても楽しい日々でしたね。新しいグループの方々にも期待していますよ…! 平成14年冬 岩手県南部の町の観光協会から5箇所目の製造販売所はいまだ準備中だが、それとは別に県内の新たな2町、1市が現在前向きに検討中である。いずれにしろ、各地に「岩手地饅」が続々増えて、みんなの喜ぶ顔がいまから楽しみである。 平成15年2月21日 昨年5月に申請を出しておいた「岩手地饅」の商標登録が受理された。これで安心して自分たちのブランドとしてこの名前を使ってゆくことができるわけで、今後の事業計画には欠かせない大切な要素である。「岩手地饅」はいわゆる総称であり、その中に「あっぴ地饅」「花巻地饅」などの固有名詞が含まれると理解してもらいたい。つまり「長野おやき」という総称があり、各地に各店のおやきが無数にある…という関係と同じことなのだ。だから、「岩手地饅」の総称をだれかに固有名詞として登録されてしまうと全体をどう呼んでいいか困るから、こうして事務局として手を打ったのである。ところで岩手県には岩手町があるから、仮にそこで発売となると「岩手地饅」の名もあり得るが、そのときは「いわて地饅」にしてもらおうと考えている…。 |
![]() |
| 平成15年6月6日 ついに岩手県南部の、温泉で有名な湯田町観光協会から連絡が入った。約一年がかりで準備していた工房に菓子製造免許がおりたので、すぐに製品化したいとのこと。それもJRのキャンペーン、SL錦秋湖号が走る6月14日、15日に発売したいという、かつてない急な話。 よーし、やろうじゃないの! …というわけで、この日、「あっぴ地饅」生みの親、安代町食の匠、立花栄子さんと、助手の藤村さんを湯田町にお連れして”秘伝、岩手地饅の皮の作り方”を伝授。約5時間の間に何度も生地を作り、具を入れて蒸し揚げて、色つや形を完成形に近づける。 湯田町左草(さそう)地区の「ざぜん草の会」の人々は手先も器用で、味覚が素晴らしく、出来たものはすぐにでも発売できそうなレベルとなって、立花さんや、見守っていた関係者を感心させた。しかし、あまりにも時間がなさ過ぎるので、とりあえずこんどの発売は一種類だけと限定し、残りの二種類はあとから追加することにしたのである。 ありがたいことに、この様子をテレビ岩手が大変ていねいに取材をしてくれて、午後6時台の地域ニュース番組で「山菜を具に、ゆだ地饅発売へ」と3分程度の紹介をしてくれた。この日のために一年間奔走してくれた観光協会の高橋さんから翌日メールがきた。「テレビ放送時間を伺っていましたが逃してしまい、あきらめて帰宅したところ、娘たちが録画してくれていましたので見ることができました。肩の荷がおりた瞬間でした」とさすがに嬉しそうだった。 |
![]() |
| 6月14日、15日 SL錦秋湖号は「ほっと湯田」駅に、行きと帰りの二度停車する。その停車時間に降りてくるお客さんを相手に「ゆだ地饅」を販売。南部小麦粉100%の皮に惣菜が入っているまんじゅうは、ちょっとお腹をすかせた乗客たちに強く訴える力があり、一個120円の販売価格も手伝ってあちこちから手がいっぱいでてきて、蒸すのが間に合わない状況となる。 食べた人の感想は「山菜の味がなんとも言えずなつかしく、おいしいですね」とか、「皮がうまいな、これ!」と、もうひとつほおばる人も。嬉しいね、この反応、まさに狙い通り!はじめてなのに懐かしい味というのが、「岩手地饅」の目指すところなのだ。 結局、14日は199個、15日は240個販売でき、製造した「ざぜん草の会」のみなさんはもちろん、講習当日最後まで見守ってくれた3名の町会議員の方々、それに観光協会の高橋さんも、予想以上の売れ行きに胸をなでおろしていた。 |
| 平成16年2月18日(JAだよりから抜粋) 岩手県西部の西和賀農協本所で、第15回西和賀むらづくりフォーラム(主催・湯田地域農業改良普及協議会、北上農業改良普及センター)が開催されました。 「西和賀のはつらつ活動事例ー地域資源を活かした加工品の取り組み」をテーマにした事例紹介では、湯田町観光協会の高橋純子さんが「ゆだ地饅」誕生の苦労話を紹介。制作の中心となる左草地区の婦人グループ「ざぜん草の会」と共に、岩手地饅事務局の万澤安央さんなどから製作指導を受け、何度も失敗を繰り返し昨年6月に商品化に成功しました。仙台のイベントでは2日間で800個を売り上げるなど、「ゆだ地饅」は昨年の西和賀地域の特産品開発の話題となりました。 |
![]() |
| 平成16年6月26日 今回で5回目となる岩手地饅の「ヤハーブ市」出店は、一年前にJRほっと湯田駅でデビューした「ゆだ地饅」にとって、久々の市街地販売でもあった。種類は高菜とおから、かぼちゃ、ぜんまい、あずきあんの4種類。準備万端で迎えた当日だったが、朝から無情の雨、それもかなりの降りがつづく。こうなるとさすがにここ矢巾町随一の商業エリアでも、客足は鈍い。それでもいつもどおり岩手地饅の赤い半纏をまとい、トラメガで呼び込むと駐車場からまっすぐこちらを目指す人、スーパー入り口でクルッと向きを変えてやってくる人など、やっぱり人は呼び声につられるもの。ガスの火口が少し小さくて蒸気が不足気味だったので、お客様にはお待たせする場面もあったが、それでも約300個を売ってまずまずの結果だった。嬉しかったのは「さっき食べたらおいしかったから」と、再度買いに来てくれるお客様が何人もいたこと。その様子を見守っていた町会議員のUさんとゆだ特産のすっぽんを使った特製ゆだ地饅のアイデアについてもお話した。すっぽんの味を生かした具をつめて、やや大きめにつくり、ふつうのゆだ地饅が130円なのに対し、200円あるいはもう少し高くでもいいから、一日限定15個というぐあいに限定商品として地元で売り出すというもの。町議は乗り気だったので、この調子で行けば、ゆだ地饅の見通しもますます明るいぞ。 |
![]() |
| ●「岩手地饅めぐりの旅」を夢見て… |
| というわけで、岩手各地に「岩手地饅」が増えて、やがてそれらを食べ歩く「岩手地饅めぐりの旅」、いわば楽しいC級グルメコースがいくつもできるようにすることも、じつは当初からの大目標なのである。そうすれば観光地でなくとも美しい岩手が多くの人々の目に触れる機会が増えるからだ。むしろ、「岩手地饅」の発想の元はこちらが先で、美しいけれど有名じゃないから、ほとんど外には知られていない県内各地の景色の素晴らしさを、多くの人に見てもらいたいという気持ちから始まったのである。ただし、「行ってみよう!」と思わせるだけの動機付けを何か作らなくちゃ…というわけで「岩手地饅」構想が頭に浮かんだというのがボクの中での順序だった。いずれにしろ、まんじゅうの中においしい具を入れるという単純な形式の中で、各地の自慢の味が競い合って、味のレベルがどんどん高くなることが、どこまでいっても大きな楽しみだ。 そして、たくさんの「岩手地饅」が製造販売されることは、独特のうまさを持つ南部小麦粉をはじめ、岩手の農水畜産の応援ができることでもある。おいしい食材が売り物の岩手に、それをうまく組み合わせたおいしいものができるのは、自然な流れであり、最も費用対効果が大きく、有効な地域おこしなのである。そんなわけで地域おこし惣菜まんじゅう「岩手地饅」はたくさんの人々の期待に見守られながら、すこしづつ広がってゆこうとしている。 |
| ※ 「岩手地饅」に興味のある方は、事務局 万澤安央までEメールでご連絡下さい。 manzawa@neti.jp |